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1999年10月


●99.10.02(土)

 知人のTさんがグインサーガの新刊を取りにやって来る。彼女は本屋に行く習慣がないため、私が買って先に読み、その後彼女に渡す慣例になっているのだった。引っ越しの話をして、新居の東武東上線大山駅まで徒歩でつきあわせる。2人でつらつらと歩いて、現住所の池袋から15分程度だった。駅前は良く言えば商店街が活気に溢れ、悪く言えば生活感の強い猥雑さが感じられる。買い物は人気の少ない時間にしようと心に誓いつつ、電車で池袋に戻る。乗ってしまえば5分くらいで池袋。

●99.10.03(日)

 浅草橋にて、第4回M3(音系・メディアミックス同人即売会)に参加。今回は広めの会場だった。売れ行きは・・・まぁまぁかな。近くのブースにアジアンなニューエイジ/テクノのCDを売っている方が居たので試聴していろいろ話していると、なんと10年以上前の私の自主制作カセットテープをお持ちとのこと(「Night Flying」)。あらびっくりである。

この日は水野くんとMOMOちゃんと赤坂さんに手伝ってもらったのだが、水野くんも10月6日(水)に引っ越しなのである。そういえば劇団てぃんか〜べるの湖条さんも10月に引っ越しだとか。引っ越しばやりでみんな大変だなぁ。

●99.10.04(月)

 昨日の疲れか、喉がイタイ。何かを飲み込むと、とかではなく、なんもしなくてもイタイのである。困ったものだ。そして今日は「雷波少年系ラストツアー」、ブルーム・オブ・ユースの武道館ライヴ。果たして1万人入るのだろうか。10月9日(土)夜9時から特番が組まれている。

というわけで、「おかえりブルーム企画」として、Soundsページに、昔ブルームの松ヶ下くんに手伝ってもらった私の曲「つばさをひろげて」がまだアップしてあります。近日中に削除しますので、お聞きになりたい方はお早めにどうぞ。

ときどき日記special・「雷波少年系ラストツアー」ブルーム・オブ・ユースの武道館ライヴ

 今日は「雷波少年系ラストツアー」、ブルーム・オブ・ユースの武道館ライヴ。(関東地方では)毎週日曜日午前10時55分からの番組「雷波少年」の企画で、強制的に(笑)シベリア鉄道始発駅に連行された別所くん(vo)と松ヶ下くん(g 他)は、終着駅までの旅費をストリートライヴで稼ぎつつ旅をしながら、「運命の一曲」を作る(注1)帰国後、武道館において入場料1000円でその1曲だけを演奏、そこにお客さんが1万人入らなかったら彼らは解散、音楽以外の職業に転職なのだ。

 私と彼らとの出逢いは、まだデビュー前の頃。友人・ドノバン江口氏(注2)の紹介で知り合ったシンガーソングライター、宮西良治氏(注3)を通じてだった。彼は浜田省吾的なジャパニーズ・ロックを指向していて、アレンジャーを探していたのである。結局私も何曲か手伝った(注4)のだが、ほぼ同時期に宮西氏が別ルートから知り合ったアレンジャーが松ヶ下くんで、宮西氏を介して私も知り合うことになる。

 最初に彼に会ったのはたぶん宮西氏のライヴの打ち上げだったと思うがよく憶えていない。彼は宮西氏のバックやっていたこともあったのだ。とても楽しそうにエレキギターを弾き、えらくカッコよかった。しかもまだ彼は当時たしか二十歳前。才能やなぁ。酒癖は悪かったけど(笑)。

 そのすぐ後ブルームのライヴを見に行く機会があった。ライヴハウスのせいもあったのか、ヴォーカル(別所くん)がぜんぜん聞こえず、印象はイマイチだった。当時デモテープも貰ったが、やはりヴォーカルが立ってこないのと、コード感が弱く、ちょっと浮遊しすぎていたと感じた(本人にも話した)。ただその後、デビュー直後から去年まで、ときどきではあるが足を運んだライヴでは、別所くんがかなり成長していっていた気がした。ちゃんとヴォーカルが立ってきていたのだ。

 思えば、ギターで、松ヶ下くんにはいろいろ手伝ってもらった。sampleページにアップしてある「つばさをひろげて」は、私がラフアレンジをして彼に渡し、彼がそれをまたアレンジしてラフを戻し、それを聞いて私が打ち込み、彼に来てもらってギターを録音したりした。あとは、完成していないが「Sol, Vento e Mar」の前身である夏企画のアルバムで1曲ギターを弾いてもらったり(注5)水野くんの曲のギターを弾いてもらったりしている。当時からマルチプレイヤーだった彼は、ラフスケッチを録音する際も、ギター、ベースはもとより、ピアノも弾き、ドラムまで(鍵盤を使ってリアルタイムで)入力していた。

 前フリが長くなったが、そういう知り合いの武道館ライヴである。番組では、1万人は難しい、と煽る。普通の人にとっては、1曲1000円というのは高く感じるのだろう。曲の好き嫌いはあるとしても、たぶん曲に対し「やや好き」という程度では、ライヴ会場に足を運ぶ動機としては不十分なのだ。

 でも、彼らのファンや、番組で見守ってきた人達、それになにより私にとっては、この1000円というのは、運命の1曲だけの代金ではないはずだ。彼らの今後全てを開く扉のカギが、この1000円なのだ。今後彼らが作るであろう曲たちは、全てこの1000円から始まるのだ。これ、大事だからメモしとくように(笑)。

 商業芸術家(注6)は、すべからくその作品ひとつひとつが入学試験・入社試験であり、どんな小さな作品でもそれが今後の自分自身の評価につながることを認識しておかなければならない。そして、その作家のファンは、どんな小さな作品でも、それが彼(彼女)の今後の社会的評価につながるかもしれないことを意識して、買ったり聞いたり読んだり見たりする・・・といいなぁ(「べきである」なんてとても言えませんが)。その、買ったり聞いたり読んだり見たりすることすべてが、「その作品」だけでなく、未来の彼(彼女)への声援となっている、ということですね。

 だから、その1000円は、彼らの今後への賭け金なのである。もちろん「1曲1000円は高い〜」と思う人がいてもいいし、おそらく大多数の「普通の人」はそうなのだろう。でも、もし「その1曲」だけではなく「彼ら」を応援する気持ちがあるならば、行きましょう。ライヴ。って、もう終わったか(笑)。かなり自分に投影して書いてます。失礼。

 さていよいよライヴである。当日は漫画家のみきさんと私の自宅で合流、ゆっくり行く予定だったのだが、みきさんが「売り切れたらやだ〜」と先乗りしてチケット発売開始の2時に武道館に行ってくるという。2時を過ぎても連絡がないので心配していると、3時過ぎに電話。なんと長蛇の列で、2時10分前に会場についたものの今まで並んでやっとそろそろ買えるとのこと。あらすごい。予定を変更して、長時間並んでいたみきさんと合流するため、武道館へ。地下鉄の九段下駅を下り改札を出ると、ブルームのパネルを持った女の子が「よろしくお願いします」と声をかけていた。地上に出ると、なんとなく人通りがわさわさしている。と、みきさんが路肩に座り込んでいた。持参したゲームボーイもやらずにへろ〜っとしていたので、よほど疲れたのでしょう。一人でチケット買わせてしまってすみませんでした。

 開場は5時半とのことなので、少し早いが武道館前に行く。未だに長蛇の列。脇にロシナンテがいた(笑)。地下の食堂で少し腹ごしらえ。ちょっと広めの食堂だが、店員を見ていると、どうやら2人しかいないらしい。まさか2人で作って2人で運んでいるのかと心配していると、厨房の陰に腕が見えた。手っちゃんではないだろうから、少なくとももう一人は人間がいる、ということになる。よかったよかった(何が?)。

 食事を終えると開場時間を過ぎていたので、入場。6時頃だったか。かなり高いところの席だったので、みきさん怒る。あれだけ並んでこの席だったら、やっぱり怒るわなぁ。というくらい、ステージから遠い席だった。お客さんは3割くらいの入り。2階席は1/8強をつぶしてあるので、全部埋まっても1万人くらいなのだろうか。ということはぜんぜん足りないやん。大丈夫なのだろうかと思いつつ時を待つ。

 アナウンスでは「パネルに人数が表示されても、ブルームの2人がそれを見るまで声を出さないようにお願いします」と言っているのだが、席の位置の関係でここからはそのパネルが見えない。これはかなり残念。そうこうするうちに7時半・開演の時間。暗転と前後して、アリーナの空席に芸能人客が入ってくる。そして待つこと15分(長い)。ラインを通したアコギのイントロから、運命の曲「ラストツアー」が始まった。

 緞帳が上がり、彼らが正面を見て「やったぁ」という(感じの)動き。同時に会場がどっと湧く。ステージ上、彼らの背後のモニターに映し出された入場者数は11427。1万人をクリアしていた。

 あとはTVで放送されるだろう。ブルームが1回「ラストツアー」を演奏し終わったあと、芸能人客(サムエル、室井さん、伊集院さん、熱狂的新巨人ファンと総裁とウサギ、天使たち、ほか)がステージ上で紹介され、もう一度「ラストツアー」の演奏の後、会場に入りきれずに外で待っているお客さんがいるということで客は入れ替えとなった。

 これで「雷波少年系ラストツアー」は終わりである。でも、ブルームにとってはここがスタートラインなのだ。これからががんばりどころなのだ。今後の彼らの活動に期待し、でもあんまり有名になって忙しくなっちゃうと、もう私のレコーディングもなかなか手伝ってもらえなくなっちゃうなぁトホホなどとフクザツな思いをかみしめつつ、10月9日のTVスペシャルを見ようと思う。

 おかえり、ブルーム。おつかれさま。

ちなみに、ご一緒した みき(風祭壮太)さんのレポートはこちら


 
注1・旅の中で一番印象的なエピソードは、どこかのじいちゃんが別れ際によろよろと立ち上がり「がんばれ日本の孫達よ」と言ったシーン。なぜだか胸にしみる。

注2・ドノバン江口と言っても別にハーフではない。ギターが縁で知り合った、私のMACの師匠。ところが彼は現在DOS/V派。パソゲーの3DシューティングゲームとプレステのRPGにうつつを抜かす困ったちゃんである。

注3・宮西さんは現在も精力的にライヴ活動中。四谷のフォーバレーとかで見かける。

注4・「最後の夜汽車」「しらけた世代」「オレンジの波音」(以上『初志貫徹』)「Tears Rain」「果てしなき闘争」(以上『Rise, Rise, Rise』)の5曲。「果てしなき闘争」のエレキギターは松ヶ下くんである。

注5・水野ノブヨシ作「また夏がやってくる」。未発表。

注6・気の向くままに自分の作りたいものを作るだけではなく、それが受け手側にちゃんと受け入れられるものを作る芸術家。大衆に迎合していると謗るなかれ。彼らは作りたくないものを作っているわけではないのだから。


●99.10.05(火)

 あいかわらず体調が悪いので医者に行くとやや熱があり風邪らしい。薬をもらって帰宅、仮眠してから打ち合わせで秋葉原まで。ちょっとツラインダ。帰りに東武デパートの文房具売場でノートなどを買う。ちょっと幸せ。

●99.10.06(水)

 完全に風邪。午後に予定されていた打ち合わせを延期してもらい、ふせっている。とほほ。

●99.10.08(金)

 千織さん迎撃オフにちらっと参加(というかうちでブックオフ)するはずが、風邪がなおらんで不参加。でも今日は銀行に行き、音楽の資料を見に本屋へ行かねばならない。そのついでに医者に行こうとするが実は逆方向。とほほ。最初に銀行と書店に行くことにして不精ヒゲと黒い帽子というアヤシイ出で立ちで河内さんとこにちょっと寄ってから銀行へ。すると途中で、河内家に帰る千織さんとすれ違う。あとで人づてに聞いたところ最初「怪しいおじさんが笑いながら近づいてくる」と思ったという。うぇ〜ん。よほどやつれていたのだろう。ということにしておこう。

 書店から出るとちょっと雨。ここから医者までの中間に自宅がある(爆)。そのため一旦帰宅して諸々用事を済ませてから再度外出。へろへろしながら注射を打ってもらい薬をもらって帰宅。

●99.10.09(土)

 新居の契約のため不動産やさんへ。本来私のようなフリーの仕事をしていると、そう簡単にはこういう契約が成立しないのであるが、漫画家・河内実加さんの紹介ということで、ろくに調べもされずに(笑)契約成立。人のつながりって、大事だなぁ。人間ギライの私が言っても説得力ないけどね。河内さん、ありがとう。これで11月末まで、2つの家をいったりきたりすることになる。

●99.10.11(月)

 夜、映画帰りの河内さんとチェシャさんがうちに寄る。トルネコ2ざんまい(爆)。ロトの剣を求めて不思議のダンジョンを50階近く下るが、入手するには運が左右するのだった(くそ〜立ってろよ水晶〜)。がっくりきてリレミトする私。今度こそもうしばらくゲームは封印だ(ほんとか?)。

●99.10.12(火)

 先日の新居契約の際、要町の交差点を少し先に行ったところにブックオフがあったので今日行ってみると16日開店だった。また今度行こう。実は自転車を買うつもりでうろついたのだが、結局買わずに帰宅。後日大山で買おう。

 風邪自体は小康状態ではあるものの、だる〜っとする時が多い。薬のせいかもしれないが。だる〜っ。

●99.10.15(金)

 明日は引っ越し(第一弾)だというのに、新宿の紀ノ国屋書店で綾辻氏のサイン会に行く。綾辻氏はちょっとやせていたが、いつもながらのナチュラルさ。列に並んでサインをいただき、その後一緒に行った河内さん、講談社の宇山氏(サイン会場では「うやまさ〜ん」と歓声があがっていた)、チャイムの松本氏(「YAKATA」のプロデューサー)、作家(漫画家?)竹本健治氏、このあとカンヅメの津原氏、C塚さんらと食事。トルネコに関して綾辻氏の話を聞いた。氏は剣のダンジョンも魔法のダンジョンもクリア、もっと不思議〜も底まで潜って、その後かなり鍛えた剣(はやぶさの剣やアイスソードを合成とのこと)を手にふふ〜んと諸国漫遊していたら、途中でまちがってへんげの壺に剣を入れてしまい、手塩にかけて育てた剣はパー。もうぜったいやんない、と堅く心に誓った、という。

●99.10.16(土)

 引っ越し第一弾。友人の子温さん、みきさん、チェシャさんに手伝っていただいて、彼女と私の5人で生活用品とCDを新居に運ぶ。楽器その他はまだ池袋に残して置かないと、仕事ができないのだ。

 かなりヘヴィーな引っ越しだったと思います。子温さん、みきさん、チェシャさん、ありがとうございました。

●99.10.27(水)

 ほんとは機材の引っ越しを11月中〜下旬にして、それまでは二重生活する予定だったのだが、まるで仕事にならないので早めにくりあげる。要は、「引っ越しの最中」感が強く、まったく落ちつかないのだ。というわけで11/4には全機能を移転する予定。しばらく更新が止まります(もう止まってるか)。

 機材のワイヤリングその他で1週間くらい何もできんかもしれん。とほほのほ。

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